有名洋菓子店を抱えるテナントビルの内装塗り替え、鍵を握ったのは塗料の“におい”

大阪・北浜に建つ新井ビルは、元は報徳銀行の大阪支店として1922(大正11)年に竣工。その後新井証券株式会社が買取り新井ビルとなる。大正期の銀行建築である当ビルは、1階部分にはギリシア・ローマ時代を想起させる古典様式を残す一方、2階以上は当時では目新しいタイル張りを全面的に採用し、重厚な中にも軽快でモダンな印象を与える。戦後、テナントビルへと転用され、現在では有名洋菓子店「五感」(有限会社 五感)が本店を構えている。

飲食店をテナントに持つビルとして、塗装工事における“におい”の問題は大きな懸念材料となる。今回、新井ビルの内装塗り替えを実施するにあたり、テナントの営業に影響を与えることのないよう、限りなく臭気の少ない塗料が求められた。

約30年ぶりとなる内装塗り替えテナントの洋菓子店の営業中に、塗り替え工事が可能か?

新井ビル内「五感」2階部分より

新井ビル内「五感」2階部分より

築98年を迎える新井ビルは、1997年に登録有形文化財に登録されるなど、一般のテナントビルとは異なり近代建築としての側面も併せ持つ。外観保持のために外装は定期的なメンテナンスを施しているが、これまで内装工事は後回しになっていたという。「はっきりとは分からないが、内装の塗り替えはおよそ30年ぶり。所々だがかなり塗装が剥がれてきていた。外から見えるところは登録有形文化財ということで時々補修していたが、内装はなかなか手が付かずにいた。設計会社に頼み、出来るだけ塗装中のにおいの影響を抑えられるようにと相談した。」と新井ビルの支配人・義間氏は振り返る。

新井ビルでは、吹き抜けになっている1,2階はかつて銀行の営業室として使われていたが、テナントビルとなってからはリノベーションが施され、店舗として利用されてきた。現在は関西のデパートにも出店し、大阪土産「ええもんちぃ」を手掛ける洋菓子店「五感」が本店を構えており、1階は工房と販売コーナー、2階は喫茶サロンスペースとなっており、常に多くの人で賑わっている。五感は正月三が日を除き毎日営業しており、塗装による臭気は営業に支障をきたす。今回は、ビル共用部の廊下と階段エリアの塗り替えではあったが、2階付近は店舗と空間が繋がっており、臭気への対策は必須であ          った。

においが少ない塗料を求めて

塗替えを行った「新井ビル」内装

塗替えを行った「新井ビル」内装

「五感さんがにおいをかなり気にされていて、以前に工場を塗り替えた際に塗料臭が相当きつく、しばらく仕事にならない状態が続いたと聞いた。その為、こちらとしてはにおいの少ない塗料をとオーダーしたが、設計会社から最初に伝えられたのは、においが少ない塗料だとテカリがある塗料になると言われた。そこから色々と探してDNTの塗料にたどり着いた。実際に塗料サンプルを持ってきてもらい、嗅いでみると確かににおいは少なかった。」塗料の選定に際し、大日本塗料としても今回の塗り替えに適用された超低臭型内装用水性塗料「COZY PACK」のほかに、一般的な内装用溶剤塗料、内装用水性塗料の3種類のサンプルキットを義間氏へ提出していた。

最終的に採用された「COZY  PACK」は、まさにオフィスや商業施設の内装改修工事を想定し、昼間の時間帯にも施工しやすいように限りなく臭気を抑えるように設計された塗料だ。しかし、樹脂だけでなく顔料の脱臭化も行うなど徹底して低臭化を志向した塗料ではあるが、完全な無臭ではない。義間氏としては、その点に不安が残っていた。

施工にあたっては大日本塗料、設計会社、塗装会社が最適な塗装方法を協議した。その結果、店舗部分に繋がる場所はカーテンで仕切り、さらに屋上へ空気を流すよう排気を工夫することで臭気の滞留を最小限に抑え、昼間の営業時間帯での塗り替え工事を実現した。こうして予定されていた塗装工事は無事終了し、建物の内装は美しさを取り戻した。

テナントへの配慮として、最善の選択を

塗り替え工事を終えた際のことを、義間氏はこう振り返った。「実際にやってみるまでは、正直分からないという気持ちだった。それでも通常の塗料とにおいに差があることはわかっていたので、やってみようとなった。テナントに休んでもらうことはできないので、通常の塗料よりは割高ではあったが、最善を尽くす意味でもなるべくにおいのしないものを使った。結果的にはにおいへのクレームもなく、こちらとしては一安心だった。」

北浜の過去と未来をつなぐ建築物

「新井ビル」外観

「新井ビル」外観

近年では、北浜地域にも多くのホテルが建設されるなど、周辺の街並みも様変わりしてきている。それでも新井ビルを含め、北浜周辺には大大阪時代の近代建築が多く残っている。それら近代建築のオーナーが中心となって「船場近代建築ネットワーク」を組織し、大阪の文化遺産である近代建築の魅力を発信することで、北浜・船場エリア全体を盛り上げる活動を行っている。さらに新井ビルでは、2014年からはじまった「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪(通称:イケフェス大阪)」に初回から参加しており、“歴史や文化、市民の暮らしぶりといった都市の営みの証しとして、様々な形で変化・発展しながら、今も生き生きとその魅力を物語る建築”を世に伝える活動に力を入れている。

最後に、義間氏は新井ビルの今後の展望をこう語ってくれた。「このビルは紆余曲折あって現在までここに残り、登録有形文化財にまで登録された。2年後には築100年となる。今となっては逆に潰すことはできないので、少しずつ改修しながら出来るだけ長く維持、活用していきたい。とはいえ、ヨーロッパでは多くの建物が100年以上経っても平気で使われているので、そういう意味では新井ビルもまだまだ中堅かもしれない(笑)。」

太平洋戦争の空襲を免れ、戦後も幾度の取り壊しの危機がありながら、いまなお残る新井ビル。過去から現在に至るまで、時代に応じて活用される形を変え、街に調和し続けてきた。歴史や文化、人々の暮らしぶりといった街の営みを伝えていく近代建築として、これからも新井ビルは北浜の魅力向上に寄与し続ける。

※大大阪時代…大正後期から昭和初期にかけ、東京をしのぐ東洋一の商都として大阪が栄華を誇った時代。紡績や鉄鋼などあらゆる産業が栄えたこの時代の大阪の街には、文化や芸術面でも日本の中心となり、「大阪市中央公会堂」や「日本銀行大阪支店」、「大阪証券取引所ビル」、「新井ビル」など今も残る多くの著名な近代建築が建設された。


<新井 株式会社>

  • 1927(昭和2)年10月 設立
  • 〒541-0042 大阪市中央区今橋2丁目1-1
  • 資本金2000万円

<新井ビル>

  • 1922(大正11)年 建築
  • 鉄筋コンクリート造 地上4階、地下1階
  • 設計:河合建築事務所(河合浩蔵)、施工:清水組
  • https://arai-bldg.com/

<有限会社 五感>